「シーザーはオランダにも来ていた」大学の調査結果が実証

ローマ時代の将軍ジュリアス・シーザーは、紀元前55年にオランダの南部オス市のケッセル(Kessel)まで北上し、当時此の地に居住していたゲルマンの2部族を滅ぼしていた。アムステルダムの自由大学は9日、考古学者の調査結果を発表した。
シーザーが自ら書いた「ガリア戦記」の中にゲルマニア遠征の記録があるが、その中に「味方の軍はたった一人の死者とごく数名の負傷者を出したのみで陣地に戻ってきた。敵軍は43万人いた。」と記されている。この戦記の信ぴょう性を調査した考古学者グループが、当時の戦いを実証する骸骨、刀、兜やコートの留め金をケッセルで発見したもの。

ただし敵の数10万人という死者の数や数千人の奴隷として生捕した人の数には疑問があると、専門家はコメントしている。シーザーの戦記は往々にして数値は誇張されている。ただし場所に関しては正確なものが多いという。