たまにわコラムその3:子どもたちを見守る?
テニスにまつわるコラムをまじかながお届けしていきます。
オランダに住んだ経験のある方なら多かれ少なかれ感じることの一つには、「子どもたちへの視線と対応があたたかい」ということがあるのではないでしょうか。例えばわたしにとって象徴的に感じたことの一つとして、あるスーパーの店内では子どもたちが食べられるようにと、無料で自由に取って食べられるバナナが置いてあったりすることが浮かびます。
本題のテニスコート上においても、子どもたちへの“待遇”は一味違います。
我が家の息子が数々の試合に挑戦する中でわたしも各地のテニスクラブを訪れましたが、参加賞レベルでもテニスグッズやら水筒ボトルやらおやつをもらえたり、試合後に食べられるアイス券が配られたりします。
あるテニスクラブでは試合後には福引のようにガラガラとレバーを回すくじ引きをしたこともありましたし、趣向も凝らされちょっとしたお祭りイベントのような気分すら味わえます。
子どもたちのツボをうまく押さえてモチベーションをくすぐってくれるなぁ、というのが第一印象です。
また、あるワンデー大会ではレッド、オレンジ、グリーンなどボールや年齢の種別によらず、終了後には参加者全員にメダルが渡されたこともありました。
子どもの心を大切にするというのか、参加する、チャレンジすることに意義がある、というメッセージのようにも思えました。
そして試合のあとは、必ず大会事務局の大人が子どもに対して「楽しんだ?」と声をかけてあげることを忘れないのが、わたしの大好きな瞬間でもあります。
一方で、試合の主役、当事者はあくまで子どもたちである、というスタンスを示されて感心した興味深い出来事もありました。
息子が試合に出始めて間もないころ、相手とポイントの数え方で食い違いがあり、試合が長く中断したことがありました。(といっても子どもたちのスコアの数え間違いは日常茶飯事ですが)
たいていは観戦している親のほうがスコアをしっかり数えていますし、その時のわたしも例外ではありませんでしたから、思わずコートサイドから声をかけて「今のスコアは・・・」と助け舟を出そうとしました。
すると相手側のオランダ人の親御さんは「言わない方がいい。これは彼らが解決することだから」とわたしを止めてくれました。
親自身もできることなら我が子に勝ってほしいと願うのは当たり前の感情でしょうが、勝ち負けを超越した部分、しかも上記のケースでは「子どもを信じて見守る」という世の親がついついできなくなりがちなことの体現であったと思い至りました。
わたしも忸怩たる思いで振り返るとともに、強く心に残った出来事でした。
そして実は、上記のエピソードの続きと言えるような話がその1年後にありました。
別の大会で別の対戦相手でしたが、また同じようなカウントの数え方の食い違いで中断した場面がありました。
この時は相手の親御さんが仲裁に入ろうとしたことから、今度はわたしがその仲裁を止めて子どもたちに任せようと提案しました。
そして試合は結局、1セット目を取った相手の子が逆転負けを喫することになったのですが、その子は試合後に悔しさとショックのあまり泣き始めてしまい、コートのブラシがけを放棄してコート外に去ってしまいました。
この時の親御さんも、やはり我が子かわいさに仲裁しようとしたのでしょうし、我が子かわいさに泣きじゃくる子どもの行動を“見守った”のでしょう。
ただ、この最後の“見守り”は、わたしの判断基準では“甘やかし”に該当するなぁ、というのが見解です。
不如意、つまり思い通りにならないときにどう振る舞うか、というのもまた子どもたちが学ぶべきことだと強く信じています。
子どもたちに接するというのは、大人もまた学ぶことの連続ですね。