【インタビュー】Dr.コトー、オランダにやってくる

沖縄の離島診療所でひとり医師として勤務し、その後オランダで終末医療を学ぶために留学された山田拓先生にインタビューしました。元気あふれる笑顔が素敵な先生で、ひとつひとつの質問に時間をかけて丁寧に答えてくださいました。

日本での孤島の医師(Dr. コトー)

日本では琉球大学医学部を卒業、そして研修期間の後、かねてからの夢であった沖縄の孤島小浜島の診療所で医師になりました。小浜島は限りなく台湾に近い石垣島のそばの小さな島。ここの診療所で2年間、家庭医としてのプライマリ・ケアの診療から、救急診療、学校医、最後のお看取り診療まで、ありとあらゆる医師の仕事をひとりで行いました。島全体が家族のような場所で朝から晩までひとりで働くのは大変ですが、とても魅力的で充実した日々でした。

自分の最後を自分の意思で決められない日本

ひとり医師として最も考えさせられたのは、最後のお看取りでした。これは専門医として働いていたら経験できずに終わることが多いと思います。日本では自分の最後を自分の意思で決めることが難しいことを実感したんです。家族のため、家族や親戚に迷惑をかけたくない、という考えが自分の意思よりも優先されることがしばしば。そんなモヤモヤしたことを考えながら、なにか新しい経験もしてみたいと思っていた矢先に、オランダ人医師が書いた安楽死に関する文献を読んだのです。それは僕にとってとても衝撃的でした。さらに偶然にも同じ頃、オランダ在住で安楽死や終末医療に詳しいジャーナリストであるシャボット・あかねさんの講演にも参加できたのです。オランダで終末医療を勉強したい!と強く思ったときでした。

留学しオランダ学と終末医療を学ぶ

こうした偶然の出逢いから、終末医療を学ぶためにオランダに行こうと決心。2019年にライデン大学の「オランダ学」学科に留学することになります。オランダで医療制度を学ぶにもにもまずはオランダ語やオランダ社会について学ばないことには始まりません。オランダの社会、オランダ人の死生観などを学び、そのあとライデンの大学院で終末医療の制度や安楽死等を研究しました。

医師になろうと決心するに至った事件

実は子供のころは化石発掘が大好きで、将来は古生物学者になりたいと思ってました。ところが中学に入るとそこは学級崩壊、校内暴力が横行する場所だったんです。中3のある日、僕のことを気に食わないと思ったクラスメートから顔面をボコボコに殴られ、救急車で病院に搬送されるという事件が起きました。その病院で治療してくださった眼科医が医師になろうと思ったきっかけなんですよ。眼科では目だけでなく、話を聞いてくれ心のケアもしてくれたのが、本当にうれしかった。外来で会うたびに声もかけてくれました。これが医師の役目なんだと思い、医学をめざすことを決めました。それから高校2年のときに、中村哲医師(2019年にアフガニスタンで銃弾を受け亡くなられる)の講演を聞き感銘を受けたんです。医療には信念と覚悟が必要だと語られたのは今でも心に残っています。

オランダで医師になる夢

オランダで医師としての経験を積むために現地の医師免許を取得することが目下の目的です。ここでは日本の医師免許は通用しませんので、オランダの医師国家試験を受けなければいけないんです。オランダ語だし、医学部に在籍していたのはもうだいぶ前で知識も若干薄れているので、かなりハードルは高いです。3つ試験を通らなければいけないのですが、すでに2つの試験は終了し、今3つ目の試験勉強中。オランダで医師になったら、日本へ向けてこちらの終末医療や安楽死のことなどをどんどん発信していきたいと考えています。

趣味や今一番関心のあること

ギターが好きなので、オランダに住む日本人とバンドを組み主にJ-Popを演奏しています。これは本当に楽しくて、将来はコンサートを開ければいいなと。このほかに、「フルサトハウス」という高齢者向け住宅建設プロジェクトのメンバーになっているのですが、こちらもとてもやりがいのあるプロジェクトなんです。医師としていろいろ貢献できればいいなと思ってます。