ミシュラン星獲得の山本拓明さん

今年の4月、ミシュラン星を獲得したレストランYAMAの山本拓明(ひろあき)さん。20年前にオランダにやってきてからここまでの道のりを伺いました。

20年の旅

P: オランダには20年前にいらしたそうですが、どういうきっかけだったのでしょうか?

Y: 北海道の調理学校で勉強しているときに、アムステルダムのホテルオークラにあるレストラン「山里」がリクルートに来ました。全国から調理人を集めていたのですが、私もそのひとりでした。海外旅行に行くような軽い気持ちでやってきたのですが、20人近い調理人がいる「山里」の親方である大島さんに仕込まれ一人前の調理人に育ててもらいました。

このときが20歳でした。心の中には、30歳で独立そして40歳にはミシュラン星という思いが漠然ながらありました。そしてこれが実現できたのは本当にラッキーだと思います

現在のレストランYAMA

P: 「山里」時代に経験したことは?

Y: オランダそしてヨーロッパの「和食の父」とも言える大島親方(現レストラン・オーシマのオーナー)に学ばせてもらったことが大きいです。まだ和食が今のように根付いていない時代から、本マグロをスペインから仕入れるルートを開拓するなど、大島さんの功績は偉大です。その大島親方から、こちらでは手に入りにくい希少な食材を大切に扱うことを学びました。捨てる素材で練習したこともありました。

山里には焼き手や寿司など7か所の調理担当部署があるのですが、いろいろな部署を経て7年目に寿司カウンターに配属されました。

運命の出会い

P: それが運命を変えたのですよね? (笑)

Y: はい。寿司カウンターで握っているときにお客様としてやってきたのが、今のパートナーである夕子さんでした。夕子さんが、「ロッテルダムで人を探しているレストランがある」と誘ってくれたのがきっかけで、オークラを辞職しロッテルダムに移ることになったのです。このときは、もちろん自分の力を試したいという気持ちもありましたが、正直なところ夕子さんに惹かれたことが大きいです。(笑)

P:  それから夕子さんの住むロッテルダムに移ることになるんですね?

Y: フーソンというダッチフレンチのレストランで寿司を握る仕事を始めました。心の中では30歳になったら自分の店を開くという希望があり、これを実行に移そうといつも考えていました。家に友達を呼んでおまかせ料理を作ったり、夕子さんのアイディアで弁当を販売するなどをやってみました。そして30歳になったときに、運良く、今の店の場所にあったオーガニックレストランのオーナーから店を譲ってもらえることになったのです。

10年前のレストラン開店時の山本さんと夕子さん

P: すべて計画通りに順調に進んだようですが、苦労したことは?

Y: 苦労したことは全くありません。大変な部分はすべて夕子さんがやってくれたんです。集客から店の修理そしてスタッフのリクルートに至るまで、すべてですね。僕は単にシェフとして料理していただけ。夕子さんには頭が上がりません。ミシュラン星の獲得も夕子さんがいなければ達成できなかったと思います。

インスピレーションの源は?

P: Yamaさんの料理はどんどん進化していっていますが、やはり勉強しているんですか?

Y: 欧州中を旅行して和食に限らずいろいろなレストランで食事したり、インスタグラムを見たりすると、インスピレーションが湧きますね。なかなか実験する時間はとれないのですが、アイディアのストックはどんどん溜まっています。店は4日オープンで3日は仕入れと仕込みで1週間が終わってしまいます。調理に集中できるのも夕子さんが他の部分を仕切ってくれているおかげだと思います。

P: ご自分で製作された陶器も使ってますよね? 陶芸は趣味ですか?

Y: 和食は器がとても重要な要素になります。なので、すべて自分の目で確かめて購入するようにしています。今使用しているのは合羽橋で購入したものがほとんどで、日本地図(画像)などは自作です。ライデンのシルク陽子さんのアトリエで陶芸の勉強をしています。いつか自分の食器で調理を出すというのが夢です。

そして次なるチャレンジは?

P: さて、ミシュラン星という目標は達成しましたが、今後10年の目標は?

Y: 山があれば登りたいという性格なので、もっともっとチャレンジしたいです。ビジネスでの成功も大切ですが、自分はクオリティをさらに上げたいと思っています。

でも、一番の目標は彼女(夕子さん)を楽にしてあげたいことです。この10年数々のアイディアを出し実行に移してくれた夕子さん。毎日暇なく身を粉にして働いてくれた夕子さんに自由な時間をあげたい、これが今の望みです。

10年後(現在)の山本さんと夕子さん

P: 最後に夕子さんへ一言。

Y: 自分ほどラッキーな人間はいません。夕子さんがこれまでの道を開いてくれたんです。ありがとう。

P: 夕子さんからヤマさんへ一言

Yuko: ヤマさんの最初に決めたことから絶対ブレない姿勢が目標達成に導いてくれたと思います。私はそれに沿って出来る限りのアシストをしてきただけです。10年後が楽しみです。

Japanese Cuisine Yama