セージのコラム 「旅の途中」 ~次の行き先~
4月の初めにパートナーが退職の日を迎えた。
終業時に職場の同僚に花束を贈られて暖かく見送られる、そんなシンプルなシーンを想定していたら、予想を裏切る大層さに驚いた。
午後イチから退職記念のシンポジウムが開かれ、その後は家族、友人、同僚を招いての退職の式典。アムステルダム大学の格式ある儀式の間で行われて200名の参加者がいた。厳かにトーガ(マント)と角帽を纏った彼は同じく正装した人々の列に伴われて登場し、お別れのスピーチは40分にも及んだ。

威厳のある式典だった。
確かに今年に入ってから原稿の作成にかなりの時間を費やしていたのにも納得。41年勤め上げたアムステルダム市役所での公衆衛生の取り組みを網羅した内容に、自分が全く知らなかった一面を最後になって漸く知った思いだった。
同時に大学での非常勤の教授職を20数年続けており、同僚からの送る言葉では、一期5年で終了するのが普通であるところ、何期も続けてその役を果たせたのは異例のことだと賞賛されていて、我ながら誇らしく感じた。
来週からは41年勤めてきたオフィスに出勤することもなくなるという状況。これまでの生活はある意味レールの上を走り続けて来て、ある程度決まった時刻表に基づいたものだったのが、これからは突然海図も羅針盤も持たぬまま荒海を前に小さな舟を漕ぎ出す心境なのだと思う。
誰からの指示もなく自分の意思と計画でこれからの毎日を過ごしていくのだ。
思い返せば、同じように走って来たレールが不意になくなる感覚を覚えて、これからの将来のことを不安に思った経験が自分にもあったことを思い出した。
その最初は大学を卒業して、自分の力で就職先を見つけて社会に羽ばたいた時。
2番目は別の仕事をアムステルダムに見つけて、日本から飛び出した時。
この2つは親鳥の元から自分の翼で飛び立つ幼い小鳥側の心境だ。
3番目は少し事情が異なり、20年ほど前か、あるタイミングで親が弱く小さくなっているのに気づき、これから先は自分が親を守る立場になったことを知った時。それまで自分の行き先を大らかな視点で見守ってくれていた親の存在が、いつの間にか庇護してくれる立場が逆転してしまっていて、これから先のことは自分だけでなく親の生活も含めて守らなければならないと知った時だった。
そして最後は自営業を始めた時、そしてそれを辞める決意をした時。飲食関係の自営業は10年ほど続けた。手探りで何から何まで新しいことの連続ではあったが、それなりに運にも恵まれて、事業としては決して余裕があるわけではないものの、コロナ禍を挟んで生き残ることはできた。最後は人間関係とことさら相性の良くないベルギーでの生活に疲れて離れることを決意した。
もちろん彼もこの最後の日が来ることは退職を決めた日から覚悟していて、庭仕事に精を出せるとか、ボランティアもやるぞとか、色々意欲はあったようだが、退職までの日々はこれまでのけじめをつけるのに精一杯で、そのあとのことはやはり後回しになっていたようだ。
いざこの日が実際に来ると多少呆然としていたのは事実のようである。
パートナーの引退を目前にして、周囲の人からはこれから自由がなくなるぞ、と脅されもした。
退職記念というわけでもないが、退職した翌週から二人で日本を2週間ほど旅した。

竹富島では念願の牛車に。水牛の頭の良さにびっくり。

石垣島では川平湾のグラスボートで海亀にも遭遇。

外国人観光客が激増した奈良でも、二月堂から正倉院辺りの小道はまだまだのんびり。

新緑が目が覚めるほど美しかった城崎。

天橋立から少し足を伸ばして、昔ながらの舟屋群が見られる伊根町を訪れた。
そして旅行を終えて家に戻った今、夢から覚めるように新しい生活が始まったわけだ。
家の中に口うるさい主夫が二人いる生活は、少し居心地が悪いように思う反面、以前に書いたように、当てのないドライブの旅が好きな二人は、こんな小舟で漕ぎ出すような次の旅もなんとか上手くやっていけそうな気もしている。
(文と写真 by セージ)