セージのコラム Vol. 10 心躍らない旅
旅はいつもワクワクするもの、というわけにもいかないのが今回のお話です。
9月に2週間ほど一時帰国をしました。高校時代の還暦同窓会に参加するというのが目的だったのですが、今回はパートナーを連れずに単身の旅。いつもなら友人と落ち合って一緒に国内を旅したりもするのですが、実家の両親そして同居する姉の様子を見て、できれば家のことを手伝って、姉に少しゆっくりしてもらえたらいいな、なんて思ってました。なので、今回ばかりは友人達との飲み会も極力控えて、実家にべったり居座ることにしたのです。
前回は4月の桜の頃に両親には会っていたのですが、認知症気味の母はその時から少し症状が進んでいる様子。特に至近の記憶があやふやで、家族のことはまだ問題なく認知できても、今交わした会話はすぐに忘れてしまいます。
なぜかパートナーの存在は覚えてられていて、「〇〇さんが亡くなったら日本に帰ってくるの?」「日本とオランダとどちらが過ごしやすい?」と日に10回も聞かれます。
丁度到着する前週くらいに入れ歯を誤って飲み込んだとのことで、ちょっとした騒動になってました。病院ではレントゲンにはっきりと異物が写り込んでいて、胃を通過した当時はカメラを入れて取り出すこともできないので、しばらく様子を見ましょうとのことでした。結局次にレントゲンを撮った際に影は消えていて、どうやら本人が気づかないうちに体外に出たようで安堵しました。
そんなこともあり、新しい入れ歯を作る相談に歯医者に連れていきました。どうやら定期的な検診も受けていなかったようで、歯周病も進んでおり、一部抜歯をして入れ歯を作り直す少し長期的なケアが必要とのこと。また歯間ブラシを使うことも強く勧められました。それからは歯間ブラシの使い方や使うことの意義の説明を繰り返す毎日が始まりました。
子供の頃の家庭はいつも母がルールメーカーでした。家に上がる時は靴下を脱ぐこと。その際に足を床につくことは許されずに、直接スリッパに着地せねばならないこと。石鹸で手を洗うまでは他の何物にも触ってはならないこと。タオルは各々が割り当てられたものを使うこと。などなどなど。少々潔癖症気味の母があれこれルールを作って、家族は黙々とそれに従うことになっていました。
それが、今はその役割をすっかり担っているのが姉。久しぶりの実家では今までにない新しいルールができていて、戸惑わずにはいられませんでした。母もすっかりその体制に従っており、かつての威光もどこへやら。
当初は状況次第では少し滞在を伸ばして、もう少し家のことを手伝ってもいいな、と思っていたのは甘い考えだと気づきます。慣れないルールも居心地が良くないというのもあったのに加え、姉を助けるどころか、逆に負担をかけていることに気がついたのです。三度の食事から家族全員の予定の段取り、日々のルーティンを乱す自分の存在が逆に姉に迷惑をかけてるように感じられました。
姉は昔から責任感が強く、じっとしてることが嫌いなので、なんでも自分でテキパキとやっていかないと満足できない性分なので、ゆっくりしてもいいよ、なんて声をかけても聞く耳は持ちません。
そんなこんなで滞在計画は変えずに今回はオランダに予定通り戻ることにしました。
去年の春にも一度単身で帰国しました。その時も実家に滞在していたのですが、ある日父は日課のジムに(風呂代わりのサウナ利用だけが目的)、姉は仕事に出かけ、家にいたのは母と二人だけ。何気につけていたテレビでは認知症で徘徊癖のある女性がある日突然消息がなくなり、残された旦那さんが奥さんを必死で探す生活が数ヶ月も続いているという番組が流れていました。背中を向けてお昼どきの洗い物をしていた母は、消息がなくなったというナレーションで、はたと手を止めてテレビを振り返りました。
当時認知症の初期段階の診断を受けていた母が、これから自分の身に起こり得ることを想像したのでしょう。「そんな風になったら嫌ねぇ」と呟いたのが忘れらませんでした。
その日の午後すぐに近くの家電屋に行き、アップルウォッチを二つ購入して両親にプレゼントしました。この時計のメリットは、身につけている限りロケーションの追跡ができること。転倒して気絶するようなことがあれば、センサーで状況を察知することができること。そしてその場合緊急のメッセージを自動で発信できること。その他にも通話発信ができること。睡眠時の心拍数や健康状態を自動で記録してくれること。などなど特に高齢者を介護する上で便利な機能が満載されています。
早速帰宅し開封して、さっき見たテレビで徘徊して消息不明になった女性もこれをつけてたら家族がすぐに見つけられたのにと説明すると、母もとても喜んで手首に着けてくれました。
翌朝、食卓の上にその時計が置いてありました。もともと機械音痴の母は携帯電話さえ持ちたがらないので、やはりこんな電子機器を身につけることには抵抗があったようです。それでも自分が滞在している間は、その機能を説明する度に装着してくれていましたが、自分が日本を離れるとテーブルに置いたまま、全く手にすることもなくなったとのことでした。
もしこれが数年早かったら、手首に装着することが習慣化できていたら、もしかしたら今頃その時計からオランダに住む息子に電話をかけてくれてたのかもと思うと、とても後悔しています。
この4月に帰った時にもテーブルに時計は置いてありました。無理強いしないように、時計つけたら?と勧めるとその時だけは装着してくれてましたが、やはり長続きしないようでした。
そして今回、他の話題でも同じことを繰り返し繰り返し質問してくる様子を見ると、最早時計を勧めることはやはり遅過ぎたのだろうと痛感しました。
新しい習慣を身につけること自体容易ではないのに、認知症はそれに対する理由づけさえも有耶無耶にしてしまいます。
一時帰国の旅は自分は飛行機に乗ってオランダに戻ると終わってしまいましたが、姉は毎日心労を重ねる日々が続きます。本当に頭が下がります。そして同じ心配事を繰り返し心配し続ける母が、少しでも安心を取り戻せる時が来たらいいのにと願って止みません。

ならまちの古びた空気が好きです

興福寺界隈は賑やかで華やかです

お昼には老舗の鰻屋さんに繰り出したりもしましたよ