セージのコラムその7: 旅の途中       縁のある場所、ラス・ベガス~

旅のデスティネーションとして狙っていたわけでもないのに、なぜかリピートして訪れる運命的(!)な場所がいくつかある。

ラス・ベガスはその一つ。

様々な映画の舞台にもなったシーザース・パレスは進化し続ける

初めてここを訪れたのは、同じく初めて海外に出たアメリカプチ留学の時なので1988年のクリスマスだった。

この連載の”その3″でも触れたのだが、アメリカ留学を決意するキッカケとなったアメリカ人のアイススケーターの面々が実はこの地が本拠地で、ワールドツアーの合間に戻ってきているという情報をゲットしたのだ。(facebookもインターネットさえない時代なのに我ながらすごい情報収集力!)

クリスマスの休暇中に滞在先の東海岸から西海岸に飛び立った。

話は逸れるが、当時のアメリカ国内線航空券は今ほどセキュリティが厳しくなかったためか、新聞の掲示板の”売ります買いますコーナー”で自由に売買されていた記憶がある。その頃はもちろんeチケットなど存在せず、昔ながらのカーボン式の紙の航空券。どうやってやり取りしていたのかは定かではないが…

ラス・ベガスはご存知の通りネバダ州の砂漠の真ん中に突如として出現するギャンブルを楽しむためのアメリカ屈指の歓楽街。街は時代と共にどんどん巨大化し、進化してリゾート地として発展してきた。

お馴染みのフラミンゴのネオン

当時の様子はまだメイン通りのストリップを中心にフラミンゴヒルトン等が、よく映画に出てくる見覚えのあるサインを掲げており、古き良き時代の面影が残っていた。サーカスサーカスは当時からカジノに隣接してサーカステントが設えられており、空中ブランコや曲芸の数々を披露していた。

賑やかな電飾が独特

友人たちと地元のダイナーに繰り出しては、エッグベネディクトを食べていたのを覚えている。初めて食べて、その時は毎食のように食べてたし、てっきりローカルフードだと思っていたので、ラス・ベガスといえばあのとろりとした卵とホーランデーゼソースの絶妙なコンビネーションの味が蘇る。

2回目に訪れたのは1994年の1月。旅行会社に就職して、同期の同僚と自社のパッケージを社割利用でどこか気軽に旅行しようということになり、選ばれたのがラス・ベガスだった。たったの5年ほどの間に大きく変貌した街並みに驚いたのを覚えている。

観光マップにもオープン予定のホテルがあちこちに

シーザース・パレスには屋内なのに青空や夕景を自在に投影した天井を持つ異次元のようなショッピング施設が新設されて、ミラージュの火山の噴火ショーやガラス張りの巨大なピラミッドの形をしたルクソールホテル、お城を模したエクスカリバーなどなど新しい巨大ホテルも続々と建築ラッシュ。

屋内なのに青空が!

そんな中選んだのはオープンしたてのMGMグランドホテル。5000室近くもある客室は当時世界最大級の触れ込みで、ホテルの内外には映画関係のテーマパークになっており、近年のラス・ベガスホテル群のテーマパーク化の先駆けではなかろうか。

建物は十字架型4棟からなっており、大通り側の入り口から十字が交わるあたりにあるフロントデスクに辿り着くまで、ものすごい距離を歩いた覚えがある。

ラス・ベガスと言えばオプショナルツアーの一番人気はグランド・キャニオン。前回は友人を訪ねただけなので、観光はほとんどせず、今回こそはと意気込んでいたものの、理由は覚えていないのだが、結局この時も行けず。(確か申し込んでいたデイツアーが天候不順か何かで催行中止になった?)仕方がないので、車を借りて手軽に行けそうなブライス・キャニオンに行ってみることにした。

夕焼けに照らされたブライス・キャニオン

これがなかなか素晴らしく、なぜか到着した頃は既に夕闇が迫っており、赤茶色の崖が鮮やかな夕焼けを浴びた姿は神々しく、間も無く日が暮れるとこぼれ落ちそうな星空にぼんやりと浮かび上がった。

日がどっぷり暮れるまで滞在した後、暗闇の中をドライブして、ラス・ベガスに到着する頃は、山を超えたところで、谷間に広がる不夜城の明かりが、まさに宝石をぶちまけたようにキラキラしていたのに感動した。

暗闇に突如広がる光の海

三度目の訪問は2011年。現在のパートナーとロサンゼルスを起点にロードトリップをした際に立ち寄った。最終目的地はパーム・スプリングスということだけを決めていたので、お馴染みのフリーな旅のスタイルは既にこの頃から始まっていたようだ。

ハリウッドに数日滞在した後はデス・バレーに向かった。途中西部荒野の小さな村ローン・パインを通りかかり、その日の宿をとった。この時のホテルがベストウェスタン系列の絵に描いたようなアメリカンなモーテルで、以来チェーンホテルには興味を持たない我々もこの系列だけにはなぜか愛着を感じるきっかけになったホテルだ。

ローン・パインの清々しい風景とモーテル

雪を戴いた連山が背後に迫る谷間の町。夕食時に近くのダイナーで壁に飾ってある写真がいずれも西部劇映画の一コマで、ウェイトレスに話を聞いて初めてその街は1900年初頭から西部劇のロケ現場として半世紀の間とても栄えた歴史があることを知った。

そしてデス・バレーを抜けて、次の滞在地を決める時に出てきたのがもちろんラス・ベガスだ。

シンプルでらしくないホテルも増えたような(実際は高級リゾート)

17年ぶりの彼の地は当然のように更に巨大に、そして予想外にエレガントに進化していた。以前のわざとらしいほどのギラギラとか、けばけばしさが薄れて、どことなくお行儀の良い感じ。

屋内なのに運河にゴンドラが行き交う

実物かと思えるほど精巧なエッフェル塔を備たホテル・パリや、屋内にゴンドラを浮かべた運河が走るザ・ベネチアン、音楽に合わせて華麗に水が踊るベラッジオの噴水ショー、摩天楼を駆け抜けるローラーコースターや自由の女神までが鎮座する斬新なニューヨーク・ニューヨーク。確かに派手さは相変わらずなのだが、かつてのラス・ベガスらしいいい意味での下品さが失われたように感じたのは気のせいか。

トレジャー・アイランドの海賊のスタントショーも人気だった

昔からラス・ベガスのホテルはカジノで儲けるのがメインなので、ホテルはおまけ程度に格安価格設定になっていると言われてきたが、実際今でも1泊100ドルを大きく下回って70ドル程度でも名の知れたリゾートホテルに滞在することができる。

現在大阪夢洲で開催中の大阪万博、巷の噂では大阪維新の会推しのIR施設を抱き合わせで開発するのが最終的な目的とか。インフラ整備のコストを万博にどっぷり負わせて、ゆくゆくはカジノリゾートを棚ぼたで誘致するのだとか。ありえなくもない話ではあるが、本場ラス・ベガスに比較すると、そんな安っぽい施設がポツンと人工島にチンマリできたところでどれだけ観光客の誘致に貢献できるのかな?とは、疑問大ではある。

さて話はラス・ベガスに戻り、ある晩の夕食時にパートナーとは大喧嘩をしてしまった。翌日はそこを後にして、三度目にして念願のグランド・キャニオンを訪れることにしていたのだが、日が変わってもそのまま前夜の空気を引きづって車内ではずっと沈黙。半日もドライブして到着し、漸く目にした圧巻の光景に驚嘆はしたものの、「もう行こうか?」と、滞留時間は実に30分もいなかったと思う。

なぜか悲しげなグランド・キャニオンの風景

なので、グランド・キャニオンは少しビターな思い出しか残っていない。

(文と写真 by セージ)