【セージの旅コラム Vol.6】旅の途中 〜そして旅立ち〜

そして、友人は旅立った。

青空が眩しかった
友人と言っても親ほど歳の差のある彼とは、もちろん頻繁に電話で話したり、メッセージをやり取りするほどのベタベタした仲ではなく、年に数回他の友人を介して食事をする感じのゆるい繋がりがここ15年ほど続いていた。
歳の差はあれど、実際は全くそれを感じさせないフランクさで、いつも同じ高さの目線で接してくれていた。
半世紀ほども昔の話。日本で服飾学校を卒業した彼は、著名な日本人デザイナーのパリでの”お針子さん”(自称)の職をゲットして単身渡欧を決意。なんとも肝っ玉の座った行動力に驚かされる反面、当時の写真の中の彼は映画スターかと思わせる流麗な美男子ぶりで、男女問わずにチヤホヤされていたのは容易に想像がつく。
今はすっかり気さくなオバサン気質で、冗談を言う時は横目で睨んで、肩をすかして、ぺろっと舌を出しそうな、そんなお茶目さが憎めなかった。なんとも言えない癒し本能の持ち主だった。
癌が発覚したしたのは去年の夏の終わり頃だろうか。余命数ヶ月を既に医師からは伝えられていたのに、周囲の友人にはあっけらかんと、「もう長くないの」と自虐的に笑って言える強者だった。
「自分は好きなことをしてここまで来たから、もういいの。」とキッパリと話す姿が忘れられない。
思えば以前の自分は、生に対して執着してきてたよな、ということを偶然最近よく考える。死ぬのなんてまっぴらごめん。親の死を考えるだけでもゾッとすると当然のように思っていた。
でもこの数年位だろうか、自身の体力の衰えだとか、体のあちこちの痛みだとか、親がそれよりも早いペースで老いていく姿を見るにつけ、少しずつ死に対する考え方が寛容になってきたような気がする。
弱くなり、痛みもあって、記憶も薄れていく中で、生に対する執着が薄れていくというか… それも自然な営みなのではないか、という少し諦めに似た感じ。
今はまだ健在な故郷の母も少し認知症の傾向が出始めて、それに抗おうとする姉と時々ぶつかったりするのだが、母は「もう十分生きてきたから後悔はない!」というのを聞くと、その友人の潔さに繋がる死生観を感じる。
その間、彼は着実に所持品の整理を進め、パートナーとは遺産相続の手続きが簡易になることを目論んで市役所で正式にパートナーシップを結び、来るべき日に向けて着実に準備を進めていった。
時は遡り彼は、パリでの”お針子さん”生活に見切りをつける決心をし、さよなら旅行の名目で、単身イタリアを巡ることにしたそうだ。有名なフィレンツェのベッキオ橋を歩いているときに、向こう側からすれ違ったオランダ人旅行者と電撃的な出会いをしたのが、オランダに移るキッカケだったのだとか。その彼とはその後長年連れ添った後に死別することになるのだが、彼にとっては生涯最愛の人だった。
現在のパートナーはその彼の親友で、若い頃は4人でよく旅して回ったとのこと。そして巡り巡ってその最愛の人の親友が彼の旅の終わりを見届ける伴侶となったのだ。
ここしばらくは止むことのない痛みや不快さと闘いながら、傍目にはそんなそぶりは一切見せずに淡々とこなすべきことを自身の意思で進めていった。
最後の数週間は終末ケアのホスピスに移った。その決定をしたのも彼自身。予めコンタクトしていたホスピスに空きが出た時は少し体調が上向きに変わっていて、本音では今じゃなくてもいいかも、と思ったそうだが、断り切れずに移っちゃった、なんて、これも茶目っ気のある仕草で話していた。
天窓のあるホスピスのお部屋は、清潔で明るくてとても居心地が良さそうだった。偶然その近くに行く用事があって、顔を出した数日後に、彼は静かに生を閉じた。晴れ渡った空が眩しいくらいの清々しい朝だった。笑顔が素敵な彼に相応しい青空の下、彼は旅立った。
彼が亡くなってから、オランダでは珍しく晴れた日が続いている。夕刻にテラスでワイングラスを傾けていると、1匹の蝶々がここ数日毎日姿を現すようになった。手摺りにとまった蝶々は長らく羽をゆっくり閉じたり開いたりしながら、まるでコチラの様子を伺う様子。

初夏の庭で
蝶々やトンボは故人の魂がその姿を借りて、この世に現れるなんて、どこかで聞いたことがあるけれど、まさか自分のようなところにまで来てくれないよな、なんて思いつつも親しげに眺めたりもして。
お葬式は近親の方で行われたので参列することは叶わなかったが、聞いた話では彼は土葬を選び、件のベッキオ橋で出会った運命の人の元に眠ることを選んだとのこと。彼らしい、素敵な選択に、最後まで猛烈に格好いい彼に、ノックアウトされた気分。

アガパンサスが咲き始めた。花言葉は”ラブレター“や“恋の季節“。凛として優雅な立ち姿と一途な恋を生きた彼の生涯が重なる。
旅の終い方を選べるのであれば、彼のようにあれたら素敵だと思う。最後の最後まで多くに面倒をかけず、綺麗に美しく自分の意思でけじめをつける。いつも自分らしく、枠にこれっぽっちも捕らわれない潔さ、そしてありのままの運命を受け入れる謙虚さ。なんて立派なエンディングなのだろうと、最後まで完璧に自分の幕引きを自分で選んだ演出をこなしきった彼に、惜しむことのない拍手を送りたい。
(文と写真 by セージ)