仏三ツ星レストランのソムリエを経て、オランダでレストラン開業

仏三ツ星レストランのソムリエを経て、オランダでレストラン開業

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 ロッテルダムのブラーク駅に近いレストラン「アマローネ」(Amarone) は、黒を基調としたシックなフランス料理店。でも一歩中に入るとオランダらしい気さくな応対で迎えられるカジュアルな店です。この店の共同オーナーであるファン・ドベン・ヨシコさんにお話を伺いました。ヨシコさんは、ご主人のヤン・ファン・ドベンさんといっしょに2018年からこのミシュラン1つ星「アマローネ」のオーナーになりました。現在この店のシェフソムリエとしてワインの買い付けやワインリストの作成も担当しています。

P: ソムリエの資格はいつ取られたのですか?

Y:  はじめからソムリエになろうと思っていたわけではないのですよ。今から20年前の1999年、日本で辻調理専門学校を卒業して、東京の「シェ・松尾」というフランス料理店に就職しお客様サービスを担当することになりました。料理専門学校に行ったのは、とにかく食べるのが好きだったから(笑)。当時大学教授だった父親には反対されたのですが、やはり好きな道を進みたいと思ったのです。「シェ・松尾」で1年働いたころ、ソムリエの人が退職し、突然ソムリエの資格を取らないか?と店から打診されました。それから働きながらソムリエの学校に行き資格を取りました。当時はワインはそれほど好きだったわけでもないし、アルコールにも強くなかったので、偶然にソムリエになったと言ってもいいですね。 ソムリエの仕事以外にシェ・松尾で学んだことは、レストランは料理の提供だけでなく、お客様に楽しい時間を過ごしていただく場所であること。これが現在に至るまで信条となっています。

P: その後シェ松尾を退職されフランスに渡航されたそうですが。

Y: 「シェ・松尾」で、白のボルドーワイン「シャトー・カルボニー(Château Carbonnieux)」に出会ったのがきっかけで、ワインの勉強をもう少し深めたいと思うようになりました。ソムリエになって1年で同レストランを退職しフランスに渡りました。最初はトゥルーズにある知人の家にホームステイさせてもらいフランス語を学びました。確か24歳ぐらいの時だったと思います。半年フランス語を学んでから、2004年にブルゴーニュのボーヌにあるワイン造りを学ぶ学校に入学しました。本当に今思うと無謀ですけれど、若い時は何も怖くないんですね。やりたいと思ったことに突進しました。この学校で1年学び資格を取りました。いっしょに学んでいた人たちは、実際にブドウ畑を持っていたり、ワイン造りをする人たちが多く、私のような素人はほぼ皆無でした。フランス語の専門用語も難しかったのですが、たまたま同時期に学校にいた日本人のかたに助けていただきなんとか資格を取れました。 醸造学というとお酒作りのようで語弊がありますね。私が学んだのはブドウの栽培やワイン造りです。実際にぶどう畑で枝を切るような作業もやりました。

P: その学校でディプロマを取ったあとに、アルザスに?

Y: 卒業後、履歴書を6、7軒のレストランに送付しました。一番先に返事が来たのが、アルザスにある当時三ツ星レストランの「ランスブール(L'Arnsbourg)」でした。即座に面接に行き採用されることになりました。最初は、ソムリエの中でも一番下っ端のコミソムリエとして働きました。その後1年でソムリエに、そして3年後にシェフソムリエへと昇進しました。シェフソムリエの一番大きな仕事が、対お客様の仕事で、ドリンク類すべての提供(お客様にサーブする飲み物すべて)と、その提供の仕方(グラスの選別や温度)の責任を負います。そして、ワインの仕入れからワインストックの管理、そしてワインリスト作成までも行う仕事です。

P: 日本人としてフランスのレストランで、それも三ツ星レストランで働くのはさぞ苦労されたのでは?

はい。これも若かったからできたのかと思います。日本人だとして侮られたくはないという気持ちがあったのか、いつも気が張っていたと思います。でもフランス3つ星での経験が、この仕事の本当の楽しさを教えてくれました。お客様といっしょに楽しむことなど、やはり3つ星レストランならではの貴重な経験も多くありました。 そうして「ランスブール」で頑張っていたときに、現在の夫になるオランダ人シェフに出会ったのです。

P: それからオランダへ移住された?

「ランスブール」で8年働いたあと、2012年に結婚しオランダへ引っ越しました。オランダではアムステルダムのミシュラン2星レストラン「&samhoudplaces (現在は「&moshik」)にシェフソムリエとして就職しました。オランダ人の夫は、ロッテルダムの「アマローネ」でシェフとして働き始め、オランダに落ち着くことになったのです。アムステルダムのレストランでの一番の思い出は、オランダ国王ご夫婦がお忍びでいらしたときにディナーのサービスができたことでしょうか。 そうして2016年に双子を出産しました。 夫は2017年に「アマローネ」の半分の権利をオーナーから譲り受けた後に、2018年に私と2人ですべてを買い取り完全オーナーになりました。

P: お店はランチとディナーの両方オープン。1日中大忙しに見えますが、お子さんたちの世話とレストラン業はどうやって両立させているのですか?

お店の経営は、シェフソムリエだけをやっていた時とはずいぶんと違います。今、働いている人は12名。お客様サービス担当が5名いてそのうち2名がソムリエです。一番大変で、でも一番大切だと思うのは、働いている人たちのモチベーションをいかに上げて、そして保つかということです。特にこの人手不足の昨今、それに一番気を使っています。私もソムリエとして表に出るよりも、今は黒子としてみんなが働きやすい環境をつくり、お客様に楽しんでいただくことを念頭に置いています。なんと言ってもオランダのレストランですから、まだオランダ語があまり自由に操れない私がサービスをするよりもオランダ人の従業員がお客様とコミュニケーションをはかるほうがいいですものね。 もうすぐ3歳になる双子の息子たちは、デイケアに預け、夜はなるべく自分で面倒をみるようにしていますが、お店が忙しいときにはベビーシッターさんの手を借りています。夫も時間が許す限り子どもたちの世話をしてくれます。

P:  ヨシコさんがお子さんの話をするとき、とても幸せそうでした。フランスでは人知れずの苦労があったかと思うのですが、全くそんな様子も見せず、明るくて可愛らしい、それでいてオーナーとしての威厳もあるかたでした。お料理は、自家製味噌など世界中の料理文化を取り入れた、新しいスタイルのフレンチです。

Amarone