たまにわコラム「レーティングの功罪」

テニスにまつわるコラムをまじかながお届けしていきます。

オランダのオープン大会回りを経験して最も印象的なことの一つは、テニスクラブ会員として登録したことのある方ならご存知であろう「レーティング」システムです。
プロ選手が競う世界では、大会規模やそこでの成績(どこまで勝ち上がったか)に応じ取得ポイントが設定されていて、その獲得に応じて世界ランクを決めていきますね。一方、今回のお題である「レーティング」はそういったポイント制とは少々異なります。

毎試合の勝敗によって対戦相手のもつ「格付け」に基づき獲得する数値を年間シーズンの中で平均化して自身の「格付け」とする、という概念です。ここでいう「格付け」と「レーティング」は同じことを指すわけですが、具体例でお示しするのが分かりやすいでしょう。

特別に申告をして認められた場合を除き、テニスクラブ会員になった(協会登録された)時点で9.00という数値からスタートするのが通常で、この数値が0に近づくほどテニスの実力が高いことを示します。
というのもシングルスを例にしますが、このレーティングシステムの対象大会で試合をこなし勝利を収めた場合、「対戦相手のもつレーティング値マイナス1」の数値を獲得でき、逆に敗戦となった場合は「対戦相手のもつレーティング値プラス1」の数値を得る、というのが基本ルールだからです。
ちなみに対戦者同士のレーティング値の差が1.00以上ある試合では、結果が「順当」の場合には双方ともレーティング計算の対象からは外れ、「下剋上」が起きた場合のみレーティング計算の対象となります。

厳密な平均化の計算方法をここでは割愛して話を簡単にしますが、例えばオランダで大会に出始めたレーティング9.00のある選手がその年間シーズンでレーティング5.00の相手10人と対戦し全て勝ったとすると、その年の最終的なレーティングは4.00となり、翌年のシーズンはこの4.00を引っ提げてスタートできます。

そして翌年、4.00でスタートしたこの選手がまたレーティング5.00の相手10人と対戦し今度は全て負けたとすると、この年の最終的なレーティングは6.00となるわけです。
ちなみにオランダのテニスクラブで開催されるオープン大会はたいてい1週間単位で大会日程が組まれ、たとえるなら大相撲の千秋楽のように最後の日曜日に決勝戦や最終戦が行われます。
大会中の各試合結果はたいてい大会事務局ですぐにシステム入力され、週明けにほどなくしてレーティング値に反映されるため、自身の実力・パフォーマンスがシーズン中もリアルタイムに把握できる実感を持てる方も多いことと思います。
ダブルスでも個人毎にシングルスと区別した異なるダブルス用のレーティング値をもち、試合の際には自分とパートナーの中間値をペアのレーティング値としますが、ここでは詳細を省きます。
いずれにしろ、数値化することで明確化かつ合理化を図っているように見える点が、「お家芸のようでまことにオランダらしいなあ」と感じたのがわたしの第一印象です。

ところで日蘭のテニス好きをモチベートしてくれるこのレーティングシステム、なかなか魅力的なシステムだと感じさせてくれる一方で、やはり万能ではありません。
かくいうわたしも自分の実力がどのあたりに位置するのか興味がありますからレーティングを気にしなかったといえば嘘になりますし、むしろある種の目標として大いに参考にもしていました。
ところが、過ぎたるは及ばざるがごとしというのか、このレーティング値を過度に気にするがゆえの不都合にいくつか直面することとなりました。
というのは、わたしが9.00を引っ提げて?オープン大会を回り始めた頃のことです。

オランダのオープン大会の多くは、このレーティング値を目安にして自分に合ったレベルで試合ができるように企画されています。
ひとくちに大会といっても例えば「女子シングルス6」「女子シングルス7」「女子シングルス8」のように同じ種目でも複数のカテゴリーが用意されますし、エントリーした参加者の中で近いレーティング値を持つ選手同士をグループにしてリーグ戦を組んでくれたりします。(とはいえ自身のレーティング値よりはるかに高いレベルに挑戦するのももちろん自由)

そのようなルールですからわたし自身、レーティング値9.00から始めさせられたものの、手始めに出場する大会は手探りで「3」「4」「5」あたりを選んでいました。
しかしながら、これはレーティング値に一喜一憂する選手からしてみると、仮にわたしの9.00が大幅な過小評価だとしたら、わたしと対戦することは非常に「迷惑」なのだとすぐに理解しました。

なぜなら、もしわたしに負けるとその試合で9.00+1=10の値をもらうことになり、レーティング値の算出で平均を取る際に大きく足を引っ張ることになるからです。
そのためか、試合日程が決まりいざ試合という直前の段階でわたしが不戦勝になってしまう、ということが何度か発生しました。

もしかしたら本当にケガをしたとか日程の都合がつかなくなったケースもあるでしょうが、不戦敗になった選手がダブルスなどの別種目でその日時に試合していた事実を確認したこともあったため、その時は明らかにわたしとの試合を意図的に避けた、と思えたわけです。
こういうことが起きるのは、良し悪しはさておき、たとえ1ポイントであれ実際に試合が行われた結果をもってはじめてレーティング計算の対象になる、という運用ルールのためです。
しかも試合のキャンセルをどちらが言い出すかは関係なく試合が開始されなければレーティングには影響なしですから、あえて悪い言い方をすると、下剋上を恐れて「敵前逃亡」することもお咎めなしで可能、なわけです。
ということは逆もまた然りで、いくら相手が強豪であっても不戦勝のときには「対戦相手のもつレーティング値マイナス1」の「棚ぼた」を得ることもできないわけですが。(大会上は勝ち進めるが、レーティング計算としては対象外)
わたしとしてもレーティング値で過小評価されている気がするからとにかく試合をしたいのに、皮肉にもそのレーティング値が足かせとなって試合ができない、というジレンマを少しのあいだ抱えることとなりました。

そして最大の問題は、残念なことにとりわけ中学生や高校生など若い年代のオランダ人選手ほど、レーティングを重視するあまりそのような不戦敗を申し出ていることが多いと感じたことです。
こうなってくると、「ではなぜあなたは試合に出るのか」という根本的な問いかけが必要になってくる気がします。
本来、レーティング値を向上させたいならば、練習や試合で実力を高め勝利を重ねることが第一であり、そのために試合経験を積むことが最も近道だから試合に出ているはずなのです。
それなのに、まさに伸び盛りの年代にいる選手がレーティング値を下げたくないという消極的な理由で上達する機会を損失しているのだとしたらこれは本末転倒であり、その片棒を担ぐレーティングシステムなど無い方がいい、とさえ感じることもしばしばでした。

さらには、自らへの戒めも込めて、振り払うべきと感じた弊害をもう一つご紹介します。
人間とは不思議なもので、このように数値化されてしまうと無意識のうちに自分と対戦相手のあいだに試合前から序列をつけてしまいがちではありませんか?
対戦相手のレーティング値が自分より勝っていればそれだけで「相手は自分より強そうだから今日は厳しい」と思い込まされ、逆なら逆で「この試合は勝たなければ」と勝手にプレッシャーを感じてしまう、という具合に。
これまたあえて悪い言い方をすると、レーティング値などというものは単に過去の結果を示しているに過ぎないのであって、当たり前ですが目の前にある次の1試合の勝敗を約束してくれるようなものではないはずです。
テニスの世界でもあらゆる傾向をデータ化して相手の弱点を分析したりするトレンドが高まって久しいですが、それを生かすも殺すも結局はプレーする選手本人の気の持ちようであり、それこそが人間同士のテニスの醍醐味ではないかとすら感じるほどです。
もはやこれはテニスに限らないことですが、我々おとなも「できない」と思い込んでしまっていることがいかに多いか、に気付かされると同時に、先入観を持たず邪念を振り払って物事に無心で取り組むことの大切さを、このレーティングシステムから教えてもらった気がするほどです。

最後になりましたがテニスシーズン、レーティング値を下馬評として鵜呑みにしないよう、「まゆつば」で楽しんで頂くことをおススメします。