オランダあれやこれや

いろいろな人が書くオランダにまつわるエッセー。書き手、常時募集しています

オランダのBLMデモは信頼関係
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先週の水曜日、6月3日のことでしたが、仕事から自転車で戻る道すがら、不思議な光景を目にしました。
エラスムス橋が大量の人で埋め尽くされているのです。
エラスムス橋というのはロッテルダムにある一番大きな白い跳ね橋で、全長は802メートル、横幅は33.4メートルもあります。その大きなエラスムス橋から、自販機からカラーポップコーンが出てくるような具合に、次から次から人が湧いて出るのです。コロナ体制下で、これだけ密な群衆を見るのは久しぶりで、思わず目を奪われました。ところが不思議なことに、橋を渡り切ったところで、その群衆がふわーと散っていく。
デモだとわかるのにしばらくかかりました。
そのまま行列となって先に続いていたらすぐにわかったでしょうけど、渡り切った瞬間に四散して消えていくので、しばらくは謎の減少として、夢でも見ているのかと思ってしまいましたよ。
この橋のたもとには以前から「1.5メートルの距離を保て」という巨大な立て看板が立っているのです。一瞬この看板の忠告にみなが従っているように見えて驚愕しました。

デモだとわかったのは、何人かの人が「BLACK LIVES MATTER」というボードを掲げていたからです。
つまり、ミネアポリスで警官が黒人男性を殺害した事件が発端になった、人種差別抗議デモなのでした。なぜロッテルダム橋のたもとでこの群衆が消えたのかというと、市長がコロナウイルスの脅威を懸念して解散命令を出したからですって。

http://www.portfolio.nl/news/buz/show/3101

もしこの記事を読んでいなかったら、謎は生涯、謎として残ったかもしれません。年を取って古老になってから、若い人たちに、「昔、不思議な事があってね・・・」と語って、彼らを煙に巻いてしまうところでした。ああ、あぶない。
無知は闇、知は力。それを実感する今日この頃です。
  
ロッテルダムのデモには数千人が集まったそうです。
夏日の海岸に人が殺到した時にも思いましたが、オランダではだんだんコロナがどうでも良くなりつつありますね(笑)。
死者数は日本よりもオランダの方が段違いに多いのですが、やはり黒人の命の方が大切ですし、デモする権利のほうが大切ですし、それから夏日の海岸はもっと大切なのです。
人生は短いですし、こんな風に大切な事柄に優先順位をつけて、自分なりの充実した人生を送り、自分なりに納得して人生を終えたいものです。とりあえず仕事だけはリモートを維持していきたいですね。危ないから。コロナが。

それにしても、オランダ各地で行われたデモに、大勢の人が集まったという事は大変心強くもあり、感動的なことでもありました。
私はオランダの警官に悪い印象は持っておらず、横暴と言うよりはむしろ守ってもらっている感覚の方が強いのですが、今回も、彼らは橋のたもとで皆のためにせっせと交通整理をしておりました。その感じも良くてね。
 
オランダのデモが暴力的にならず、もちろん暴動や略奪などに発展しないのも、社会にそれほどの理不尽が横行しておらず、市民と行政の双方に基本的な信頼関係があるからだと思います。遠いアメリカの黒人の人権のために大量の市民がエラスムス橋を埋め尽くすのも、いったん市長が「そりゃコロナにかかってしまうからやめなさい」と言ったら、橋を渡ったところで散っていくのも、みんなが正気の証。解散命令だって、別に銃を持ち出してきた訳でもなし、軍隊が発動された訳でもない。
そんなものが必要ない社会であるということは、とてもありがたいことです。
 
「Black Lives Matter」は「Police Lives Matter」でもあります。アメリカのように、相手に対する攻撃がどんどんエスカレートし、応酬するやり口もどんどん非人間的になっていけば、あとはどちらかが完全に制圧されるしかない。その後さらに深まる互いの不信感と恐怖を、アメリカはどうやって解消するつもりかなあと思います。

いずれにせよ、態度を変えるのは、いつだって強い方じゃなければいけないのだと私は思っています。
弱い方はいつだって立場がなく、状況を変えるための力を十分に持っているわけではありません。あがいても自分が首まで浸かっている泥沼をかき回すことにしかならない。今回の略奪・暴動にしたって、黒人たちにそれで何の得があったのか。
けれど、国家および警察の側には、状況を改善するために出来ることはいくつもあるのです。何しろ資金的にも頭脳的にも組織的にも、国家は黒人を圧倒しているのだから。
ならば、変革は黒人の側にではなく、国家の側に求めるべきだというのは間違いありません。世界中で人々が弱い方の味方についたことは、ただもう正しく、そうあるべきことだったと思うのです。

偏見や差別は誰の胸の中にでもあって、それは社会的階層だったり、経済格差だったり、異文化だったり、ある程度現実に根差しているものだと思います。だから、他者から指摘されてすぐ変わるというものではないのかもしれませんが、でも長い年月をかけて、少しづつ自然と質が変わっていくことはあるでしょう。根気よく、偏見のない道を作る小石のひとつであり続けることが肝要だと思った次第でした。 
(image: Hart van Nederland)