映像作家の小倉裕基さん

映像作家の小倉さん

映像作家として監督・撮影・編集などひとりで行っている小倉裕基さんにアムステルフェーンにてインタビューしました。小倉さんはアムステルフェーン初体験だそうですが、イメージしていたロサンジェルスのリトル東京とはずいぶんと違ったようです。P:ポートフォリオ、Y:小倉さん

P: オランダにいらっしゃった経緯を教えてください。

Y:2011年から13年までロサンジェルスの学校で映像を学びました。その後日本で活動していたのですが、英語で仕事をしたいとずっと思っていました。たまたまオランダで就業ビザを取得しやすいという話を耳にし、ではオランダを活動起点にしようと思いたち、2017年1月にオランダに来ました。ビザは2017年4月に取得しました。

P: 日本ではどんな映像を作っていたのですか?

Y:ミュージックビデオと企業ビデオが主な収入源でした。このほかに、自分でつくりたいドキュメンタリービデオもつくっていました。

P: ドキュメンタリービデオがハーグの映画祭で賞をとったと聞きました。

はい。自主制作ではなく依頼を受けてロンドンで撮影した作品なのですが、「ハーグ・フィルム・アワード2018」で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。自主制作のドキュメンタリービデオも、アメリカの「ダム・ショート・フィルム・フェスティバル」をはじめ複数の欧米の映画祭で入選しています。

P:なんだかトントン拍子の人生に聞こえますが。

Y: いえいえ、今まで壁にぶちあたり、それを乗り越えることを繰り返してきた人生です。

P: そうなんですか? 子どものころから?

Y: はい。まずは小学校高学年になったときに女の子と話せないという大きな壁にぶちあたりました。これが中学、高校と続きました。これではいけないと思い大学生になってから女の子と話すためのハウツーブックを6冊読みました。それでやっと女の子とデートするまでに行き着いたのです。

P: 次の壁は?

Y: 新卒で入社した会社での日々です。就職活動の時期に映像ディレクターになるという目標を持ち、狙い通り映像の制作会社の内定を取りました。しかし実際に入社してみると、その会社にはプロデューサーしかおらず、ディレクターになるのはほぼ不可能という状況だったんです。採用面接では何度もディレクターになりたいんだと伝えていたんですが・・・目標に向かって進めない日々はとても辛かったです。結局その会社は1年で辞め、その後はロサンジェルスに留学して映像を学びました。今になってみれば、あの会社での日々が嫌で仕方なかったからこそ迷うことなく留学という決断ができたので、壁という言い方が正しいのかはわかりませんが・・・

P: なるほど。それから日本でフリーランスとして映像の仕事を始めたのですね。これも、すぐにクライアントが見つかり、何の問題もなくうまくいったように思えるのですが。

はい、でも自分で次の壁を作りました。(笑) 仕事をいただけるのはありがたかったのですが、仕事で身につくのはあくまで仕事をこなすための能力。自分の表現を突き詰めることとは全く違う次元の話です。アメリカでじっくりと映像について学んだこともあり、アーティストとして自分だけの映像表現を見つけたいという想いがありました。なので、仕事をしながらも映画祭への挑戦を続けました。最初は箸にも棒にもかからず落選の連続でしたが、挑戦を始めて5年が経ち、ようやく「しっかり作った作品は必ず何かしらに入選する」というところまで来ました。ここからさらに進んで賞を次々と取れるようになれればそれにこしたことはないですが、受賞するかどうかは審査員の好みも関係するので、そこに全力を注ごうとは今は考えていません。それよりも、世間の傾向に惑わされずに自分の表現を磨いていきたいと思っています。

P: 次の壁は?

うーん、なんでしょうね。エネルギーを注ぐ方向を再び仕事の方に戻して、オランダでの生活を維持できるだけのお金を稼いでいくことでしょうか。ただ、いかにもコマーシャルな映像というのは私より上手く作れる人がたくさんいるので、そこでは勝負したくないと思っています。先ほどお話ししたロンドンで撮影した作品のように、ドキュメンタリー制作の依頼が増えるのがベストです。そのために現在は自分の映像の価値の伝え方について試行錯誤しているところで、オランダの人々に積極的に会いに行って自分の作品を見てもらったり、ワークショップの企画を作って大学に売り込んだりしています。他には、これはドキュメンタリービデオの延長ではありますが、ホームビデオ制作がしたいなと。ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、あらゆる映像の中でもっとも作る価値があるのはホームビデオだと思うのです。「プロが作るホームビデオ」ということで、お客さんの二度と戻ってこない大切な時間を映像に残すことを仕事にできれば、それはどんな大きなコマーシャルの依頼が来るよりも素晴らしいことだと思います。

Yuki Ogura HP