オランダで起業

ポートフォリオ・ニュースではオランダで起業したかたがたを定期的にインタビューしてご紹介しています。自薦他薦を問わずご興味のあるかたは、info@portfolio.nlまでご連絡ください。

2018-04-12

アレクサンダー・テクニーク教室を主催する椙本康世さん

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今回は、アムステルダムで「アレクサンダー・テクニーク」教室を主催する椙本康世(すぎもとやすよ)さんに、この教室を開くことになった経緯をお聞きしました。P:ポートフォリオ、S:椙本さん

P: まずオランダでこの教室を始められた経緯についてお話してくださいますか?

S: はい。アレクサンダー・テクニークについては後で詳しくご説明しますが、オランダに来たきっかけはこのテクニークについて習うためでした。
日本でも大学に勤めをしながら勉強をしていたのですが、どうも自分にしっくり来なく一旦止めていたのです。それが働いていた勤め先での契約が切れたため自由時間ができ、もっとこの勉強を続けたいと思いオランダに来ました。
オランダに来たのは2014年の1月です。アムステルダムにあるこのプライベートの学校は学生ビザの発行がなかったので、3ヶ月毎に日本に帰り、またオランダに来るという生活をしていました。

P: それは大変でしたね。お金もかかるだろうし。

S:そうなんです。ところがちょうどそのころ日本人向けのフリーランスビザ(自営業者ビザ)が出るということを聞き、一か八かで申請したところ2年間のビザがとれたのです。目的は起業ではなく、あくまでも学校を続けるためでした。これが2015年6月です。2016年6月に学校は卒業したのですが、まだビザは1年も有効でした。それなら、切れるまで居心地のいいオランダにいることにしました。私にとってオランダはすごく居心地がいいのです。

P: そこでアレクサンダー・テクニークの教室を始められたのですね。

S: はい。でも残りの滞在可能期間は1年。そこで、また一か八かで(笑)、フリーランスビザの申請をしたところ、これもうまく通り5年間のビザが支給されました。たしかに、とてもラッキーでした。ただ、教室を開いたところで、アレクサンダー・テクニークについてはほとんどどなたもご存知ないので、すぐに生徒さんは集められません。すこしずつ興味を持ってくれるかたがたが集まった今でも、午前中はアルバイトをしています。在日本の企業の仕事をオンラインでオランダで行うという仕事です。経理など総務一般です。

P: 大変ですね。実は私もアレクサンダー・テクニークについてよくわからないので説明していただけますか? 指圧やマッサージとは違うのですか?

S: 違いますね。アレクサンダー・テクニークはマッサージなどのような直接の治療は行いません。治してあげる治療というよりも、自分から治るように体の使い方を覚えるというものです。簡単に言えば、心と身体の使い方を再教育する方法で、タスマニア出身の俳優アレクサンダー氏によって100年以上も前に始められたものなのです。この舞台俳優が、ある日突然声が出なくなるという問題に直面しました。医者にいっても埒が明かなかったのですが、身体の使い方に原因があるのではと考え、これを正したところ声が出るようになったのです。その後イギリスでこのアレクサンダー氏が考案したテクニークが広まり現在に至っています。身体の使い方を覚えることでパフォーマンスの向上が期待できます。

P: どんな人がこのテクニークを使っているのですか?

M: 俳優や音楽家そしてダンサーが多いですね。音楽家は声楽家だけではなく常に不自然な姿勢で楽器を使う人もこのテクニークを採用し、よい結果が出ています。もちろん、一般の人で肩こりや腰痛がある人もいらっしゃいます。身体の使い方を覚えるとこういった悩みも解消できるはずです。先日は学校の先生で、生徒の前で話がうまくできるようプレゼン能力を改善したいというかたもいらっしゃいました。これはビジネスシーンでももちろん使えます。

P: 面白いですね。

S: はい。大切なものは、既に自分の中にあるのです。このテクニークを発展させたF.M. アレクサンダーさんは、ひたすら鏡に写る自分の姿を観察することで、こころとからだの統合された使い方を学んでいったのですよ。まさに、自分の中にある答えの発見でした。
私が、そのような、既に自分の中にある答えを発見する道具として、アレクサンダー・テクニークを選ぶ理由は、おもに二つ。シンプルであることと身体性を忘れないことです。特に、からだを忘れないことで、無限のアイデアや望みや思考が、宙に浮いたものでなく、今ここに生きている私たちの現実になるのだと思います。


2018-04-02

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今回は「MONO JAPAN」で日本の「もの」をオランダに紹介している中條永味子さんにお話を伺いました。中條さんはJapan Cultural Exchange (JCE)を2015年に設立、日本そしてオランダの文化の発信を行っています。P:ポートフォリオ、C:中條さん

P: 今年で3回目になる「MONO JAPAN」に伺わせていただきましたが、増々盛況のようですね。日本にいてもあまり目にしない美しいものや、すぐれた品物がたくさん展示販売されていて楽しめました。オランダ人の来場者もすごく多かったですね。「MONO JAPAN」を始められたきっかけを教えてください。

M: 2014年に九州を旅行する機会がありました。そのときに、たくさんの素晴らしいものづくりをしている人たちに出会いました。そのとき、つくり手が高齢化していく中、これらのモノを継承し、かつ海外に紹介できないかという気持ちが湧いたのです。2015年に日蘭文化交流を目的としたJCEを設立し、温めていたこの紹介が実現に向かって進むことになりました。

P: JCEを設立し、すぐにMONO JAPANを始めたのですか?

M:その前にこのプロジェクトを前に進めるきっかけとなった多くの出会いがありました。それは運命的とも言っていいかもしれません。準備期間中にインテリアの見本市であるメゾン・エ・オブジェやアンビエンテに出向いていたのですが、そのアンビエンテにて日本のインテリア界でトップの座にいらっしゃる「Time & Style」(注:2017年にアムステルダムにも店舗開店)の吉田社長そしてMUJUNの小林新也氏にお会いする機会に恵まれました。彼らが私の背中を押してくれたのです。

P: 2016年から毎年「MONO JAPAN」の会場は文化大使館という異名を持つ「ロイドホテル」を選ばれましたが、そのいきさつも教えてください。

M: ロイドホテルの代表スザンヌ・オクセナーさんは多くの日本人アーティストと懇意にしています。その関係でスザンヌさんに知り合うことができたのです。RAIのような無機質な会場を使いたくないと思っていたところだったので、これも本当に素晴らしい出会いでした。さらに実際にプロジェクトを始める段階で、著名な舞台デザイナーの遠藤豊さんやグラフィックデザイナーの武田雅也さんの協力を得ることができたのですが、これも運命的な出会いだと思っています。

P:たくさんの運命的な出会いがプロジェクトを成功させたのですね。これも人を引き寄せる中條さんの人格、そして人脈と熱意が実を結んだのだと思います。

M: たしかに周囲のたくさんの人に助けていただきました。とくに在日オランダ大使館を始めとする多くのオランダの団体にはお世話になりました。いつかはオランダに恩返ししたいと思っています。

P: MONO JAPANの他にもいろいろなプロジェクトに取り組んでいらっしゃるようですが。

M: はい、例えば「アルツハイマー・カフェ」の日本への紹介です。これは日本からの視察をお手伝いすることがきっかけとなり始めたものです。日本からの起業視察のアテンドもJCEの仕事のひとつです。

P: オランダに居住を始めたきっかけは?

M: 2000年に友人を訪ねてオランダを旅行しました。そのときからオランダが気に入ってしまい、長期滞在の手立てを考えたのです。運良く米国系の広告代理店に入社することができ、そこでグラフィックデザイナーとして働きはじめました。それから日系企業を経て、2015年にJCEを設立しました。

P: 日本への出張も多いし、いろいろな分野で活躍していらっしゃるので、自由な時間は少ないでしょうけれど、趣味はありますか?

やはり、仕事になってしまいますね。(笑) でもとくに「ものづくり」への探求は趣味になっています。

2018-03-22

リラックス・マッサージのもんたさん

アムステルフェーンでリラックス・マッサージのお店をやっていらっしゃる通称モンタさん(本名は尾関さん)にお話を伺いました。モンタさんは2015年の4月からオランダにお住まいです。P:ポートフォリオ、M:モンタさん

P: 日本ではどのようなお仕事をしていらっしゃったのですか?

M: オランダに来る前は、午前中は家業の紙器製造会社に勤務し、午後は往診専門の鍼灸指圧治療院、夜はリラクゼーションサロンで働くという忙しい生活を送っていました。26歳のときからリラクゼーションサロンに興味をもち働きだし、鍼灸学校に通い国家資格を取得したのが30歳のときでした。

P: ずいぶんと忙しい日々を送っていらっしゃったのですね。それからどのようにしてオランダに移住なされた のですか?

M:はい、27歳のときに結婚し新婚旅行でスイスに行きました。それがきっかけかけになり、海外にあこがれ、いつか住みたいと思うようになりました。また、人生は一度ですし世界は広いので日本で一生を過ごすことは次第に考えなくなりました。オランダに決めたのはビザが取りやすかったことや日本人コミュニティがあること、子育てにも良いと思ったからです。 滞在許可申請にあたり、いくつかの企業にご協力いただき移住権利を得ることができました。これには本当に感謝しています。

P: それでオランダに移住しすぐにお店を開いたのですか?

M: はい、2015年の4月に移住し、5月下旬にサロンをオープンしました。私の場合、2014年に下見と滞在許可申請のために二度来蘭し、同年秋には個人事業主ビザを取得していました。また、移住当初は自宅の一室をマッサージに利用したので、日本から持ってきたマッサージベットと看板代わりに横断幕を設置し、すぐにお店をオープンできました。

P:ちょうど日本人が就業ビザを得やすい時期でしたね。

M: そうですね。

P: 鍼灸をやっていらしたのに、指圧でもなく、リラックスマッサージというのはどういうことでしょうか?

M: 鍼灸学校へ入学したころは、パッと「痛みをとる」「治せる」ようになりたいと思っていました。しかし、学んでいくうちに、「症状がよくなる」ということは技術や治療以外に自然治癒力や心理的な効果、作用が大きくかかわっていることを知りました。また、それらの差は科学的に比較しないと判断できません。 そして、「受け身的な姿勢」(治療に依存する)より、できる限りレベルの高い研究結果を知り認知を変えていくことも痛みを軽減する助けになるのです。それらのことを知ったとき、鍼灸学校のころから抱いていた疑問が解消され、私の中で治療院をする考えはなくなりリラックスできる時間を提供したいと思いました。 ちょうど移住を真剣に考えはじめたころです。

サロンではゆっくり(リラックス)する時間を提供しつつ、これまでの経験と合わせお役に立てれば嬉しいです。「もんた」は小学生のころからのあだ名です。

P: お子さんもいらっしゃるとのことですが。

M: 6歳と2歳の娘がいます。オランダは教育もいいと聞いていますので成長が楽しみです。

P: お仕事は順調ですか?

集客にはもう少し力を入れなければと思っていますが、おかげさまでオランダ人を含め多国籍のお客さまもたくさん来てくださっています。日本人の方はもちろん、いろいろな国の人たちをマッサージできることは幸せです。

P: 将来の夢は?

オランダで根付き、マッサージといえばモンタ!と誰もが連想できるぐらい、オランダ中にMontaマッサージを浸透させたいです。お店も増やせたらいいなと思っています。

2018-03-13

映像作家の小倉さん

映像作家として監督・撮影・編集などひとりで行っている小倉裕基さんにアムステルフェーンにてインタビューしました。小倉さんはアムステルフェーン初体験だそうですが、イメージしていたロサンジェルスのリトル東京とはずいぶんと違ったようです。P:ポートフォリオ、Y:小倉さん

P: オランダにいらっしゃった経緯を教えてください。

Y:2011年から13年までロサンジェルスの学校で映像を学びました。その後日本で活動していたのですが、英語で仕事をしたいとずっと思っていました。たまたまオランダで就業ビザを取得しやすいという話を耳にし、ではオランダを活動起点にしようと思いたち、2017年1月にオランダに来ました。ビザは2017年4月に取得しました。

P: 日本ではどんな映像を作っていたのですか?

Y:ミュージックビデオと企業ビデオが主な収入源でした。このほかに、自分でつくりたいドキュメンタリービデオもつくっていました。

P: ドキュメンタリービデオがハーグの映画祭で賞をとったと聞きました。

はい。自主制作ではなく依頼を受けてロンドンで撮影した作品なのですが、「ハーグ・フィルム・アワード2018」で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。自主制作のドキュメンタリービデオも、アメリカの「ダム・ショート・フィルム・フェスティバル」をはじめ複数の欧米の映画祭で入選しています。

P:なんだかトントン拍子の人生に聞こえますが。

Y: いえいえ、今まで壁にぶちあたり、それを乗り越えることを繰り返してきた人生です。

P: そうなんですか? 子どものころから?

Y: はい。まずは小学校高学年になったときに女の子と話せないという大きな壁にぶちあたりました。これが中学、高校と続きました。これではいけないと思い大学生になってから女の子と話すためのハウツーブックを6冊読みました。それでやっと女の子とデートするまでに行き着いたのです。

P: 次の壁は?

Y: 新卒で入社した会社での日々です。就職活動の時期に映像ディレクターになるという目標を持ち、狙い通り映像の制作会社の内定を取りました。しかし実際に入社してみると、その会社にはプロデューサーしかおらず、ディレクターになるのはほぼ不可能という状況だったんです。採用面接では何度もディレクターになりたいんだと伝えていたんですが・・・目標に向かって進めない日々はとても辛かったです。結局その会社は1年で辞め、その後はロサンジェルスに留学して映像を学びました。今になってみれば、あの会社での日々が嫌で仕方なかったからこそ迷うことなく留学という決断ができたので、壁という言い方が正しいのかはわかりませんが・・・

P: なるほど。それから日本でフリーランスとして映像の仕事を始めたのですね。これも、すぐにクライアントが見つかり、何の問題もなくうまくいったように思えるのですが。

はい、でも自分で次の壁を作りました。(笑) 仕事をいただけるのはありがたかったのですが、仕事で身につくのはあくまで仕事をこなすための能力。自分の表現を突き詰めることとは全く違う次元の話です。アメリカでじっくりと映像について学んだこともあり、アーティストとして自分だけの映像表現を見つけたいという想いがありました。なので、仕事をしながらも映画祭への挑戦を続けました。最初は箸にも棒にもかからず落選の連続でしたが、挑戦を始めて5年が経ち、ようやく「しっかり作った作品は必ず何かしらに入選する」というところまで来ました。ここからさらに進んで賞を次々と取れるようになれればそれにこしたことはないですが、受賞するかどうかは審査員の好みも関係するので、そこに全力を注ごうとは今は考えていません。それよりも、世間の傾向に惑わされずに自分の表現を磨いていきたいと思っています。

P: 次の壁は?

うーん、なんでしょうね。エネルギーを注ぐ方向を再び仕事の方に戻して、オランダでの生活を維持できるだけのお金を稼いでいくことでしょうか。ただ、いかにもコマーシャルな映像というのは私より上手く作れる人がたくさんいるので、そこでは勝負したくないと思っています。先ほどお話ししたロンドンで撮影した作品のように、ドキュメンタリー制作の依頼が増えるのがベストです。そのために現在は自分の映像の価値の伝え方について試行錯誤しているところで、オランダの人々に積極的に会いに行って自分の作品を見てもらったり、ワークショップの企画を作って大学に売り込んだりしています。他には、これはドキュメンタリービデオの延長ではありますが、ホームビデオ制作がしたいなと。ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、あらゆる映像の中でもっとも作る価値があるのはホームビデオだと思うのです。「プロが作るホームビデオ」ということで、お客さんの二度と戻ってこない大切な時間を映像に残すことを仕事にできれば、それはどんな大きなコマーシャルの依頼が来るよりも素晴らしいことだと思います。

2018-02-26

理学療法士の桑原さん

オランダ起業の第2回目、今回はライデンで理学療法士として働いている桑原秀和さんにお話を伺いました。桑原さんは27歳、水瓶座、O型 P:ポートフォリオ、K:桑原さん

P: まずオランダに来た経緯をおしえてください

K:4年前の2014年5月にオランダにやってきました。もともと海外にでていろんな人や文化に触れたいという思いがあったのと、日本の理学療法士の養成校にいた頃、理学療法士としてオランダで活躍された方にあった事がきっかけでオランダに来る事を決めました。そのときはとにかく理学療法士としてオランダのプロサッカーチームで仕事したいと思っていました。


P: それまでは日本では何をしていたのですか?

K: 理学療法士の学校で4年間学び、そのあとフィットネスやマッサージの仕事をしていました。1年やって、オランダに行こうと決心しました。

P: オランダではすぐに仕事を?

K: いいえ、オランダに来たときは所持金すべて合わせて30万円でした。まずは宿泊場所を探さねばと思い、無料で部屋を貸してくれる「カウチサーフィン」というサイトでアムステルダムのデンマーク人の家に泊まりました。その次の日にはユトレヒトに移るという転々生活をしていたのですが、あるイベントで出会ったオランダ人のおばあちゃんにライデンで3ヶ月ほど無料で家に泊めてもらえることになりました。その3ヶ月の間、ほぼほぼ一銭も使わずにさまざまな方に助けられ生活する事ができました。


P: それで起業をしたのですね?

K:いや、また難関にぶつかりました。所持金は30万円しかなくビザの取り方もわからない状態でいましたので、結構困っていました(笑)。その頃、たまたまウェブサイトで見つけた起業を専門とする弁護士さんが無料相談キャンペーンをやっていたので門戸をたたきました。僕の所持金とプラスで資本金4500ユーロで起業ができるというのです。ただそのお金もない。途方にくれていた所、たまたま本屋で出会ったハンスさんという方が3回目くらいに家に遊びにいったときに事情を話したら、なんとお金を貸してくれることになり、無事に個人事業主として労働許可を得ることができました。

P: いろいろな人に助けられたのですね。やはり人間的な魅力があったのでしょうね。

K: それはどうか(笑)ただ、必死でした。英語もあまり得意ではなかったのですが、一生懸命オランダ語を学びました。

P: それから現在に至るまで

はい、今まで3つのアマチュアサッカーチームで働き、現在はAlmereにあるプロサッカーチームのユースチームで週に3回研修しています。また、オランダ柔道協会で週1回と2ヶ月に一回の頻度で海外遠征の帯同をフィジオセラピスト(理学療法士)としてさせてもらっています。ただそれだけだと食べていけないので、個人のかたの治療もライデンの治療院と出張で行っています。これまでオランダ人向けに仕事をしていたのですが、施術内容が東洋医学の要素も含めたものなので、日本人のかたにも来て頂けたらと思っています。今、日本の免許をオランダのものに書き換える手続きをしている最中です。オランダの免許が取れたら、保険も適用されるので利用しやすくなるはずです。

アレクサンダー・テクニーク教室を主催する椙本康世さん


MONO JAPANの中條永味子さん


リラックス・マッサージのモンタさん


映像作家の小倉裕基さん


理学療法士の桑原さん


日本人ドライバーサービスの村上さん